今回は死の能動的選択について考えたい。
現代は死にざまを選べない。
正確には、病院にかかると限界まで生かされる。
苦しい、死にたいといっても、『病状が改善する可能性が無くても』ぎりぎりまで、強制的に生き延びさせられる。
しかも、治療費はかかり続ける。
これは新手の拷問か?!
それでいいのか、いやよくない!
ってことで、リビングウィルだ。
どの段階で治療をやめるかを、事前に本人に確認しておく。
たとえば、病状の回復の可能性が無く、本人の意識が無い状態になったら治療をやめ、そのまま死なせてほしい、などである。
そうすれば、苦しみ続けることも少なくなるし、家族の医療費負担も軽減できる。
また、結果として、治療を受けることができる人が増えるだろう。
そして、サナトリウムを増やそう。
治療のためではなく、ゆるゆると、苦しみ少なく死に向かえる施設を増やそう。
生きていても、意識もなく、苦しむだけでは意味が無い。
病状の回復が見込めないならば、さまざまな麻酔薬を駆使してでも、家族との対話の時間を増やし、最後はあっさりと死なせてあげる。
これこそが人の尊厳を守る上で必要なことではないのだろうか。
この記事へのコメント
尊厳死や安楽死の問題は難しいです。
自殺に近い面もあるし…
もっとも議論はしていかなければいけない問題でしょう。
専門家に任せるだけでなく自分ならどう思うか、と考えをまとめておく必要があります。
そういえば以前この問題に関してすごい反論を聞いたことがあります。
その人は尊厳死や安楽死に反対の人なのですが、その言い分はこうです。
「人間の気持ちは変わりやすい。平時の際にはアレコレ言っていてもいざとなったら気が変わって、生きたい!と思うかもしれない。だから意識を失う直前に気が変わっているかもしれないし、自分が今まで言ってきた内容から引っ込みがつかなくなって、生きたい!と言えなくなるかもしれない。だから反対」と。
気が変わることまで計算に入れたら何にもできない。
そもそもリビングウィルに関心のある人は、自分の決断には責任を持っている人だと思うのだが…
最近は末期患者の在宅看護やホスピスも注目されるようになってきましたが、まだまだ不十分。
日本人が「死」を語るのを避けているうちは、よりよい「死」もよりよい「生」も手に入らないでしょう。
自殺に近い面もあるし…
もっとも議論はしていかなければいけない問題でしょう。
専門家に任せるだけでなく自分ならどう思うか、と考えをまとめておく必要があります。
そういえば以前この問題に関してすごい反論を聞いたことがあります。
その人は尊厳死や安楽死に反対の人なのですが、その言い分はこうです。
「人間の気持ちは変わりやすい。平時の際にはアレコレ言っていてもいざとなったら気が変わって、生きたい!と思うかもしれない。だから意識を失う直前に気が変わっているかもしれないし、自分が今まで言ってきた内容から引っ込みがつかなくなって、生きたい!と言えなくなるかもしれない。だから反対」と。
気が変わることまで計算に入れたら何にもできない。
そもそもリビングウィルに関心のある人は、自分の決断には責任を持っている人だと思うのだが…
最近は末期患者の在宅看護やホスピスも注目されるようになってきましたが、まだまだ不十分。
日本人が「死」を語るのを避けているうちは、よりよい「死」もよりよい「生」も手に入らないでしょう。
この問題は、事なかれ主義の最前線なんだよにゃぁ。
どういっても批判されるから誰も明言しない。
ただ、本人がこれ以上苦しみたくないといっても無理やり生かさせられる状況だけでも何とかしてほしいね。
2007/08/31(金) 09:27:53 | URL | しんくにゃ。 #1VRCY5uM[ 編集]
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